FC2ブログ

Entries

JR京都線 芥川橋梁(あくたがわきょうりょう)

明治7年(1874)石垣石を京阪間の鉄道工事に使用するため高槻城は破却され、明治42年(1909)の工兵隊移駐以後、城跡は大きく変貌し今では往時の面影をとどめていませんが、今でもその高槻城の石垣石を見る事ができます。JR京都線 下り線の橋脚の基礎部分に今でも使われています。130年以上たった今でも現役で頑張ってます(^-^)/その上を毎日通勤で通ってるって何だか凄いですね。       ...

霊岡山 妙浄寺(みょうじょうじ)

妙浄寺は霊岡山と号して日蓮宗に属し、ご本尊は題目宝塔と釈迦多宝二仏です。当初は淀川沿いの井尻に位置し、享禄元年(1528)日進上人が創建したといわれます。しかし、明治22年(1889)と29年に淀川の洪水があり、翌30年、本堂を西法寺へ移した正覚寺跡であるこの地に移転しました。現在の堂宇は昭和61年に建てられました。  ...

神南備の森跡(かんなびのもりあと)

この辺りから北は、地名を「神内」(こうない)といい、古代和歌に詠まれた「神南備の森」がこの地にあり、神南備の音が、年月の経過とともに変化したといわれます。「かんなび」とは、神の宿る所との意味で、和銅4年(711)設置とされる山陽道の官駅・大原駅があったと推定され、平安時代には、京から西国に下る人々の別離の地であったといいます。古今集の歌人、源実は、その前書きで「神なひの森まで送りに・・・別れ惜しみけるに・...

藤井竹外邸跡(ふじいちくがいていあと)

 幕末の漢詩人藤井竹外は、文化4年(1807)高槻藩士藤井沢右衛門の長男として生まれました。  竹外は藩の教育機関である青莪堂(九代藩主永井直進により設立)で学び、鉄砲術をはじめ武芸にも励んだといわれます。  文武両道の素養を備え、青年期から頼山陽を師と仰ぎ詩作に傾倒しました。酒をくんでは詩作に没頭し、七言絶句を得意としたため、「絶句の竹外」ともよばれたといいます。  慶応2年(1866)、60歳で世を去った竹外の...

清水池公園(しみずいけこうえん)

清水池公園は、公園内に親水池(清水池)があり、また芥川と隣接しているため、水と親しめる都会のオアシス空間としての機能を持っています。公園内は多目的広場を中心に、園路、植栽帯、遊具広場、多様な植物や施設が設置してあり、大人から子どもまで楽しめます。      ...

Appendix

プロフィール

kazuy569

Author:kazuy569
My City Takatsukiへようこそ!

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
地域情報
1612位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
近畿地方
204位
アクセスランキングを見る>>

Since 2009.12.16